แชร์

第15話 ここには七人いる

ผู้เขียน: なつめ
last update วันที่เผยแพร่: 2026-08-04 09:20:34

 黒板に残された小さな赤い手形は、五人が放送室へ戻ったあとも消えなかった。

 向かいの教室から扉越しに見える。白い粉の浮いた黒板の中央で、指の短い手形だけが濡れたように光っていた。

 誰の名も書かれていない空白の横。

 そこへ押された手。

 六人の誰よりも小さい。

 透のものではない。澪たちが高校生だった頃の手よりも、さらに幼く見えた。

 美月はしばらくその手形を見ていたが、やがて放送室の床に横たわる透へ向き直った。

「運ぶ」

 声は静かだった。

 悠斗が眉を寄せる。

「正気か。階段を三階分だぞ。床も腐ってる」

「ここへ置いていけない」

「俺たちまで動けなくなる」

「だからって、一人にするの?」

「死んでるんだぞ」

 言葉が落ちた瞬間、美月の目が鋭くなった。

「分かってる」

 低い声だった。

「私が確認した。呼吸も脈もなかった。分かってるから、置いていけないの」

 悠斗は口を閉じた。

 奈々香は壁際で鼻をすすり、割れたスマートフォンを握っている。泣き腫らした目は、透の身体を正面から見られず、床へ散った黒い磁気テープを追っていた。

「外へ出られるのかな」

 彼女が呟く。

「また同じ廊下へ戻ったら……ずっとここで、透と一緒に」

「戻っても進む」

 朔は放送室の隅に積まれた備品を調べていた。

 折り畳み式の担架はなかったが、古いカーテン用の丈夫な布と、掃除用具入れから外した二本の金属棒が見つかった。朔と悠斗が棒へ布を巻きつけ、美月が結び目の強度を確かめる。

 急ごしらえの担架は頼りなく見えた。

 朔は布の端を二重に折り、金属棒へ巻きつけた。悠斗が反対側を押さえ、美月が救急鞄から包帯を取り出して固定する。結び目を一つ作るたび、誰かの指が震えた。

 高校時代、透は機材の線を束ねる役だった。絡まったコードを黙ってほどき、誰が雑に片づけたか分かっていても責めなかった。遠足のように騒ぐ六人の後ろで、録音機だけを守って歩いていた。

 その透の身体を運ぶために、今はほかの五人が不格好な結び目を作っている。

 澪は包帯の端を引きながら、透なら一度見ただけでやり直させただろうと思った。緩い。重心が偏っている。歩けば軋みが音へ入る。掠れた声で、そんなことを言ったかもしれない。

 思い浮かべた声は、すぐに首を絞められたときの呼吸へ変わった。

 それでも透を床へ残すよりはよかった。

 美月が上着をめくり、透の身体をそっと横向きにする。首の圧迫痕が赤い光を受け、黒紫色に沈んでいた。

「頭を支えて」

 澪は言われた通りに透の後頭部へ手を入れた。

 髪はまだ湿っている。体温も僅かに残っていた。眠っている人を起こすときのように、名を呼べば瞼が動く気がした。

「透」

 声は返らない。

 澪は唇を噛み、首が揺れないように支えた。

 美月と二人で身体を持ち上げ、担架へ移す。重さが布へ沈み、金属棒が低く軋んだ。

 奈々香が小さく息を呑む。

「人って……こんなに重かった?」

「力を抜いているから」

 美月は透の両腕を胸の上で重ね、上着の端を整えた。

「落とさないようにする。朔と悠斗が前後を持って。澪と私が両側で支える。奈々香は後ろから照明。何か見えても、一人で離れないで」

「何かって……」

「今まで見たもの全部」

 奈々香の唇が震えた。

 朔が小型カメラを胸の固定具へ取りつける。両手が塞がっても撮影を続けられるよう、レンズを正面へ向けた。

「出る前に人数を確認する」

 その言葉へ、澪の背中が冷えた。

 朔。

 澪。

 美月。

 悠斗。

 奈々香。

 透。

 六人。

 七刻女学校へ入ったのは、もともと七人だった。

 数えるたび、中央にあるはずの一人分の空白が濃くなる。

「行くぞ」

 朔と悠斗が担架を持ち上げた。

 布が沈み、透の身体が僅かに揺れる。

 美月は頭側へ手を添え、澪は反対側から肩と腰を支えた。奈々香が懐中電灯を掲げる。

 放送室の扉は開いたままだった。

 先ほどまで五人を閉じ込めていた錠は、折れた部品を床へ落とし、もう動かない。廊下の向かいにある教室では、黒板の赤い手形が消えている。

 代わりに、床へ小さな濡れた足跡が一つだけ残っていた。

 上履きの跡。

 その先は、階段の方角を向いている。

「追うの?」

 奈々香が訊いた。

「出口と同じ方向だ」

 朔の答えは短かった。

 五人は担架を運び、廊下へ出た。

 透の身体を載せた布が、歩調に合わせて僅かに上下する。金属棒が軋むたび、録音機の中で聞いた首のテープの音が蘇った。

 澪は何度も透の顔を確認した。

 上着の影に隠れた頬は青白く、唇は閉じている。

 それでも曲がり角を通るたび、目の位置が少しずつこちらへ向いている気がした。

「澪、前を見て」

 美月が小声で言う。

「うん」

「足元が悪い。転んだら全員危ない」

 医師の口調だった。

 だが美月自身も、透の顔を見ないようにしていることが分かった。

 廊下は真っ直ぐ階段へ続いていた。

 壁の掲示物も、教室の番号も変わらない。撮影用テープは天井へ移らず、朔が角へ貼った位置に残っている。

 途中、担架の右側が急に重くなった。

 澪は足を止め、布の下へ手を差し入れた。透の腕が胸の上から落ち、指先が床すれすれに垂れている。揺れた拍子に動いただけだと分かっていても、その手が何かを探して伸びたように見えた。

 美月が腕を戻し、上着の内側へ収める。

「大丈夫。関節が緩んでるだけ」

 医学的な説明のあと、美月は透の手を一度だけ包み込んだ。

「もう少しだから」

 死者へ聞かせる声だった。

 その直後、透の録音機の入力表示が一度だけ大きく振れた。誰も話していないのに、波形は人の返事ほどの高さまで立ち上がり、すぐ平らになった。

 朔は画面を撮影したが、再生はしなかった。

「今度は戻されてない」

 悠斗が息を切らしながら言った。

「誰かが通してるみたい」

 奈々香の言葉に、誰も答えなかった。

 三階の踊り場へ着く。

 照明器具が落ちた場所には、硝子片と黒く乾いた液体が残っていた。澪を救うため、窓ガラスの中の少女が「逃げて」と告げた場所。

 今は窓に五人と担架だけが映っている。

 澪は視線を逸らした。

 二階へ向かって一段ずつ下りる。

 朔と悠斗が歩幅を合わせ、美月が透の頭を支える。澪は担架の布が階段の角へ触れないよう持ち上げた。

 奈々香の懐中電灯が背後で揺れる。

 突然、三階の廊下から机を引きずる音がした。

 ぎぎ、と重い木の脚が床を擦る。

 一脚。

 続いて、もう一脚。

 音は二年七組の方角から聞こえていた。

「止まるな」

 朔が言う。

 五人は階段を下り続ける。

 ぎぎ。

 ぎぎ。

 複数の机が動き、教室の中央へ集められているような音だった。

 澪の腕へ、透の録音機が触れた。

 証拠袋に入れ、担架の脇へ固定していたものだ。

 画面が勝手に点灯する。

 再生ボタンへ触れていないのに、スピーカーから古い始業ベルが流れた。

 かあん。

 少し音程の外れた二音目。

 担架を持つ四人の足が止まる。

「電池を抜いたはずだ」

 朔が録音機を見る。

 画面には電池残量がない。空の表示のまま、波形だけが動いている。

 ベルがもう一度鳴った。

 階段の上で、二年七組の扉が開く音がした。

「行く必要はない」

 美月が言う。

「下へ行こう」

 悠斗も頷く。

 朔が担架を持ち直した。

 だが、次の一段へ足を下ろした瞬間、階段の下から風が吹き上がった。

 腐った木と濡れた土の臭い。

 六人が玄関へ入ったときの空気。

 懐中電灯の光が明滅し、視界が一瞬暗くなる。

 次に見えたのは、一階の玄関ではなかった。

 五人は二年七組の前に立っていた。

 階段を下りていたはずの足は、廊下の平らな床へ置かれている。担架も、透の身体もそのまま。誰も向きを変えていない。

「また……」

 奈々香が喉を鳴らした。

 教室の扉は開いている。

 中の七つの机は、すべて中央へ向けられていた。

 机が円形に並んでいるのではない。教室の中央に置かれた空の椅子一脚を囲むように、七つの席が外側から向き合っている。

 処刑を見るための観客席。

 そんな形だった。

 黒板へ白い文字が浮かび上がる。

 人数を確認してください。

「無視しろ」

 悠斗が言う。

 担架を持ったまま廊下の先へ進もうとする。

 教室の扉が激しく閉まった。

 同時に、廊下の両端へ防火シャッターが落ちる。

 五人と透は、二年七組の前に閉じ込められた。

「答えろってこと……?」

 奈々香の声が細い。

 黒板の文字の下へ、短い横線が一本現れた。

 空欄だった。

 教室の中央に置かれた椅子は、古い生徒用のものではなかった。背もたれが低く、座面も小さい。小学校へ上がる前の子どもが使うような大きさで、脚には乾いた泥がこびりついている。

 赤い手形と同じ、小さな誰かの席。

 澪が光を向けると、座面へ七本の細い傷があった。爪で何度も同じ場所を掻いた跡に見えた。傷の中央には、まだ乾いていない赤黒い水が溜まっている。

「これも数えるの?」

 奈々香が椅子を見た。

「人じゃない」

 悠斗が即座に言う。

「席を数えろとは書いてない。人数だ」

 その言葉へ応えるように、小さな椅子が一度だけ軋んだ。

 澪は担架から手を離さないまま、周囲を見た。

 生きている五人。

 朔。

 美月。

 悠斗。

 奈々香。

 澪。

 担架に横たわる透。

 合わせて六人。

「数えるだけでいい」

 奈々香は自分へ言い聞かせるように呟いた。

 懐中電灯を一人ずつへ向ける。

「一、二、三、四、五……」

 最後に透を照らす。

「六人よ」

 答えが教室へ吸い込まれた。

 七つ目の机が動いた。

 ぎい、と床を擦り、中央の椅子へさらに近づく。

 机の前には誰もいない。

 廊下の奥で、水が落ちる音がした。

 ぺたり。

 濡れた上履きの足跡が一つ現れる。

 次の足跡。

 また次。

 誰もいない空間を、少女が歩いている。

 足跡は五人の脇を通り、開いた教室へ入った。七つ目の机の前まで進み、椅子の手前で止まる。

 座面がゆっくり沈んだ。

 朔が胸元のカメラへ手を伸ばし、画面を起こす。

「何か映ってる」

 澪たちは液晶を覗き込んだ。

 肉眼では空の椅子。

 撮影画面には、制服姿の少女が座っていた。

 長い黒髪が顔を覆っている。

 胸元で両手を重ね、右手首には赤い組紐。

 八年前、澄花が失踪した夜に着ていた制服だった。

「澄花」

 澪の口から名がこぼれた。

 少女の肩が僅かに動く。

 ゆっくりと顔を上げた。

 髪の隙間から現れた顔には、何もなかった。

 目も。

 鼻も。

 口も。

 白い皮膚だけが、平らに広がっている。

 奈々香が悲鳴を上げた。

 カメラの中の少女は、声の方角へ首を傾ける。

 骨の継ぎ目を確かめるように、少しずつ深く。

 肉眼では空の椅子が、誰かの重みを受けて軋んだ。

 教室の奥から、子どもの笑い声がした。

 くすくす。

 一人ではない。

 机の下、ロッカーの中、天井の染みの向こう。見えない子どもたちが、数を間違えた者を笑っている。

 続いて、澪の耳元で少女が囁いた。

「数え方が違うよ」

 息が首筋へ触れた。

 澪は振り返れなかった。

 五人のスマートフォンが一斉に点灯した。

 画面には校舎の簡単な見取り図が表示され、赤い点が六つ並んでいる。

 雨宮澪。

 神代朔。

 早乙女美月。

 黒瀬悠斗。

 白石奈々香。

 相馬透。

 死亡した透の点も、ほかの五人と同じ強さで明滅していた。

 その中央に、名前のない七つ目の点がある。

 最初は教室の椅子の位置。

 赤い点が、ゆっくり動き始めた。

 机の間を抜ける。

 教室の扉を越える。

 廊下へ出る。

 澪の画面の上で、点は彼女の位置へ近づいてくる。

 一歩。

 また一歩。

 澪のすぐ後ろで止まった。

 奈々香が画面と澪の背後を見比べ、声を失う。

 美月が何か言おうとした。

 朔は担架から片手を離し、澪へ伸ばす。

 その前に、冷たい指が澪の肩へ触れた。

 濡れた細い指。

 一本ずつ、コートの布へ沈んでいく。

 耳のすぐ後ろで、澄花の声が響いた。

「六人じゃないよ。ここには七人いる」

อ่านหนังสือเล่มนี้ต่อได้ฟรี
สแกนรหัสเพื่อดาวน์โหลดแอป

บทล่าสุด

  • この物語を最後まで読んではいけない ――七つの呪地と八人目の犯人――   第23話 四番目の個室

     三階女子トイレには、三つしか個室がなかった。 八年前も同じだった。 澪は入口に立ったまま、右から順番に扉を数えた。 一つ。 二つ。 三つ。 薄い水色の扉はどれも塗装が剥げ、下端には湿気で膨らんだ木が黒く浮いている。床の白いタイルはところどころ割れ、洗面台の蛇口には赤錆が厚くこびりついていた。 五つ目の印が示した場所。 三階女子トイレ、四番目の個室。 だが、どれほど見ても四つ目はない。「間違ってるんじゃないの」 奈々香が入口から動かずに言った。 声には期待が混じっていた。「四番目なんてない。これなら、行き先そのものが嘘だったってことでしょ」 誰もすぐには答えなかった。 奥の小窓から雨の青白い光が差し込んでいる。天井灯は死んでおり、五人の懐中電灯だけが便器の白や配管の錆を拾っていた。 美月が三つの個室を一つずつ開く。 一番目。 空。 二番目。 便座が外され、床へ転がっている。 三番目。 天井から蜘蛛の巣が垂れているだけ。「壁の奥に設備室がある可能性は?」 美月が尋ねる。 悠斗が通路図を広げた。「女子トイレの裏は配管スペース。さっきの管理通路とつながってる。ただ、ここから直接入れる入口は載ってない」「載っていない入口ばかりだな」 朔が壁を照らす。 そのとき、澪は入口脇の鏡を見た。 長い洗面台の上に設置された横長の鏡。 表面は黒い斑点に侵され、中央には縦へ亀裂が走っている。 鏡の中に、四つの扉が映っていた。 澪は呼吸を止めた。「……ある」「何が?」 美月が振り返る。「鏡」 澪は指を向ける。「四つある」 全員が鏡を見た。 現実の背後には三つ。 鏡の中には四つ。 三番目の右隣。 本来なら灰色の壁しかない場所に、もう一枚、薄い水色の扉が立っている。 表面には黒い数字で〈4〉。 奈々香の顔色が変わった。「いや」 短い声だった。 壁へ背をつける。「奈々香?」「そこ……」 鏡の四番目の扉を見たまま、奈々香の唇が震える。「八年前も、あった」 悠斗が彼女を見る。「四つ目が?」「見えたわけじゃない。でも、澄花が言ってた」 奈々香は左耳に残ったガーゼへ触れた。「四つ目があるって。私、馬鹿にした。三つしかないじゃんって」 記憶が戻ったのか、声が次第に細くなる。「それから……

  • この物語を最後まで読んではいけない ――七つの呪地と八人目の犯人――   第22話 階段の下の少女

    「……上げて」 掠れた声は、階段下の暗闇から聞こえた。 男とも女とも判別できない。喉を潰した人間が、長いあいだ声を出さずにいたあと、無理に息を押し出したような音だった。 五人は動かなかった。 朔が十二段目へ膝をつき、懐中電灯を空洞へ向ける。 白い光が、壁面をゆっくり滑った。 深さは五メートルほど。 底には使われなくなった机や椅子が乱雑に積まれていた。錆びた金属脚が絡み合い、崩れた木製の天板が斜めに立っている。古い配管が壁に沿って下り、底には雨水らしい黒い水が薄く溜まっていた。 人影はない。「誰かいるのか!」 悠斗が叫んだ。 返事はなかった。 先ほどまで聞こえていた爪の音さえ消えている。「空耳……?」 奈々香が美月の腕を掴んだ。「五人とも聞いた」 美月は空洞から目を離さない。「少なくとも、私には聞こえた」 澪も頷きかけた。 そのとき。 朽ちた椅子の隙間で、白いものが動いた。 細い指。 血の気のない小さな手が、折れた机の陰から一瞬だけ伸びたように見えた。「待って」 澪が一歩前へ出る。「今、手が」「何?」「下に誰かいる」 朔が光を戻す。 椅子の隙間。 何もない。「澪、離れて」 美月が肩へ触れた。「人がいるなら救助が必要。でも、まず安全を確認する。五メートルはある。下の床が抜けている可能性も――」「私が下りる」「駄目」「誰かがいるかもしれない」「だからこそ一人では下りない」 美月は強く言った。「さっき悠斗が落ちかけたばかりでしょう」 澪は空洞を見下ろした。 声。 白い手。 そして、耳の奥に蘇る八年前の澄花。『澪ちゃん。開けて』 助けを求める声を聞いた。 それなのに逃げた。 今度も同じことをしたら。「途中まででいい」 澪は朔を見る。「ロープをつけて。何かあったらすぐ引き上げて」「俺が行く」「朔じゃ駄目」「理由は」「私が見たから」 澪の声が僅かに震えた。「白い手を見たのは私。もしまた、私にしか見えてないものなら……私が確かめる」 朔は数秒黙った。 反対したのは美月だった。「危険すぎる」「でも、人がいるなら」「救助する側まで落ちたら意味がない」「分かってる」 澪は自分の腰へ手を当てた。「だからロープを使う」 朔は空洞と澪を交互に見た。 やがて、悠斗

  • この物語を最後まで読んではいけない ――七つの呪地と八人目の犯人――   第21話 十三段目

     少女が「十三」と数えた直後、東棟の照明がすべて消えた。 暗闇は一瞬だった。 それでも澪には、その短いあいだに誰かが階段を一段上ったように聞こえた。 こつ。 硬い上履きの底が、木の踏み板へ触れる音。 続いて蛍光灯が白く明滅した。 十二段しかないはずの階段の最上部に、もう一段増えていた。「……何、あれ」 奈々香が美月の袖を握る。 誰も答えなかった。 澪は階段を見上げた。 一階から踊り場まで、十二段。 八年前にも上った。今夜も何度も通った。幅の狭い古い階段で、七段目だけ踏むと軋む。十一段目には大きな欠けがあり、十二段目を越えれば踊り場へ出る。 その十二段目の上に、見覚えのない黒い踏み板があった。 十三段目。 しかも、その先に廊下が続いている。 三階へ上がる階段ではない。 踊り場の壁がなくなり、さらに上の階へ向かう長い廊下が伸びていた。 薄暗い窓。 左右へ並ぶ教室の扉。 天井から垂れる蛍光灯。 突き当たりの壁だけが、霧の中へ溶けるように見えない。「四階……?」 美月が呟く。「ない」 悠斗が即座に否定した。 声がひどく乾いている。「この校舎は三階建てだ」「図面にも?」 澪が訊く。「ない。屋上の設備室ならあるが、人が歩ける階じゃない」 朔は階段へ近づかず、小型カメラを構えた。「全員、その場から動くな」 液晶に十三段目と四階らしき廊下が映っている。 今度は、カメラにも存在していた。 朔は角度を変えた。 正面から。 壁際から。 床近くから。 どの角度でも、十三段目はある。 突然、照明が消えた。「動かないで!」 美月の声。 数秒後、明かりが戻る。 十三段目は消えていた。 その先の四階もない。 十二段目の先には、いつもの踊り場の壁がある。 奈々香が息を呑む。「今、なかった」「ああ」 朔はカメラを確認する。「映像からも消えてる」 また照明が瞬いた。 一度暗くなる。 白い光が戻る。 十三段目。 四階。 存在する。 照明の明滅に合わせ、建物そのものが形を変えているようだった。 澪のスマートフォンが震えた。 続いて四人の端末も同時に鳴る。 七つの学校章。 赤く塗られているのは三つ。 七人目の出席。 校歌。 姿見。 その下へ新しい文章が表示された。 十三段目に

  • この物語を最後まで読んではいけない ――七つの呪地と八人目の犯人――   第20話 先に振り返った澄花

     東棟の階段から響いた重い音は、十三度目で止まった。 どん、と最後の一音が校舎の底へ沈み、そのあとには非常ベルだけが残った。 赤い警告灯が明滅するたび、割れた鏡の破片が床の上で光る。つい先ほどまで、その一枚には透の姿が映っていた。 階段へ行くな。 死んだ透の唇は、確かにそう動いていた。「行かない」 澪が言った。 自分でも驚くほど強い声だった。 悠斗が東棟へ続く扉を見た。「でも、今の音を確認しないと――」「透が行くなって言った」「鏡に映ったものを信用するのか?」「今は、何も確認できてないまま近づく方が危ない」 美月も澪の隣へ立った。「賛成。さっきのは人が階段から落ちた音にも聞こえた。でも、本当に人なら声くらい出てもおかしくない。先にここで分かることを調べる」 奈々香は返事もしなかった。左耳に当てたガーゼを押さえ、割れた鏡を見ないよう俯いている。 朔だけは非常ベルの周期を数えていた。 やがて胸元へ固定した小型カメラを外す。「舞踊室の映像を見る」 悠斗が苛立ったように振り返った。「今?」「今だからだ。俺たちが見たものと、記録されたものが一致してるか確認する」 その言葉に、澪の胸元で手帳が重くなった。 中には、澄花の字で書かれた楽譜が挟まれている。 朔が撮っているものと、私たちが見ているものは同じじゃない。 その一文を、澪はまだ誰にも見せていない。 朔は床へ膝をつき、カメラの液晶を開いた。 五人が横一列に並ぶところから映像を戻す。 一往復目。 五人。 二往復目。 五人。 澪たちの記憶では、鏡の中の悠斗だけが半歩遅れた。 だが保存映像では、悠斗もほかの四人と同じ速さで動いている。「違う」 澪が画面へ顔を近づけた。「ここ。悠斗が遅れたはず」「遅れてないな」 美月も確認する。 三往復目。 現実では、鏡の中の奈々香が一人だけ立ち止まった。 映像の中では、五人全員が同じ歩調で端まで進んでいる。「私、止まってたよね」 奈々香が掠れた声を出した。「鏡の中の私だけ。みんな見たよね」「見た」 澪が答える。 美月も頷いた。 四往復目。 澪の呼吸が浅くなる。 このとき、鏡の中には六人いた。 五人の後ろを、制服姿の少女が歩いていた。 右手首には赤い組紐。 けれど、小型カメラの映像には五人しか

  • この物語を最後まで読んではいけない ――七つの呪地と八人目の犯人――   第19話 一人遅れる鏡

     西棟一階へ近づくにつれ、雨音が遠くなった。 代わりに、五人の足音だけが長い廊下へ乾いて響く。 東棟よりも荒廃が進んでいるらしく、天井には幾つもの穴が開き、壁紙は湿気を吸って垂れ下がっていた。窓硝子の半分は割れ、黒い板で塞がれている。 それでも、突き当たりにある両開きの扉だけは、不自然なほど形を保っていた。 曇った金属板へ、かすれた文字が残っている。 舞踊室。「ここ……」 奈々香が足を止めた。「覚えてる」 声は小さい。 左耳には美月が当てた薄いガーゼが残っていた。出血は止まっているが、何度も耳へ指を伸ばしかけては、途中で思い直して腕を下ろしている。「八年前に来たよね」「来た」 悠斗が答えた。 迷いのない声だった。「ここの鏡が七不思議の一つだった」 朔は扉の前でしゃがみ、下部へ懐中電灯を向けた。 細い隙間から、埃の積もった床が見える。 糸や配線はない。「どんな噂だった?」 美月が悠斗へ尋ねる。 悠斗は扉の取っ手へ手を掛けながら言った。「午前零時を過ぎて、鏡の前を全員で歩く」 低い軋みとともに扉が開く。「最後の一人だけ、鏡の中に残される」 舞踊室の暗闇が現れた。「残った奴は、翌朝までに消える」 澪の背中を冷たいものが走った。 部屋は細長かった。 奥行きのある長方形で、床には古い木板が敷かれている。壁際には朽ちた手摺が残り、その上を白い黴が這っていた。 そして、左側の壁一面。 端から端まで、巨大な鏡で覆われている。 幾つもの鏡板を並べて作られたものだった。 表面はところどころ黒く曇り、細かなひびも入っている。それでも五人の姿を映すには十分だった。 澪。 朔。 美月。 悠斗。 奈々香。 五人。 鏡の中にも五人。 赤い組紐の入った袋が、澪のポケットの中で僅かに冷たくなった。「当時は何も起きなかった」 悠斗が部屋へ入りながら言った。「澄花がふざけて隠れただけだった」 澪は顔を上げた。「隠れた?」「ああ」「ここで?」「そうだ」 悠斗は当然のことのように答える。「七人で鏡の前を歩いて、最後に数えたら六人しかいなかった。奈々香が泣いて、美月が怒って。あとで澄花が裏から出てきた」「裏って、どこ」「カーテンの向こうか何かだっただろ」 澪は舞踊室を見回した。 壁際にカーテンはない

  • この物語を最後まで読んではいけない ――七つの呪地と八人目の犯人――   第18話 逆さに歌う少女

     最後の鍵盤が沈んだまま、戻らなかった。 音楽室の中には、逆向きに流れる少女たちの歌声だけが残っている。 声は天井のスピーカーから降っているはずなのに、澪には壁の内側や床の下、閉ざされた楽器棚の奥からも聞こえた。吸い込まれるような発音。終わった言葉から始まり、息継ぎまで逆へ流れていく。 五人は誰も耳を塞がなかった。 スマートフォンに届いた指示が頭から離れない。 途中で耳を塞いだ人は帰れません。 たとえ人間が作った脅しだとしても、透が死んだあとでは試す気になれなかった。 奈々香は両腕を身体の脇へ押しつけるようにして立っている。耳を塞がない代わりに、指先がレインコートの布を強く掴んでいた。「何か入ってる」 朔が言った。 胸元の小型カメラを外し、録音状態を確認している。「歌以外に?」 美月が問う。「低い声。普通に聞くと潰れてる」 朔はカメラから音声だけを端末へ送り、波形を表示した。 透ほど専門的な機材ではない。それでも映像制作の現場で使う程度の処理はできるらしく、朔は周波数を分け、歌声の高い帯域を少しずつ削っていく。 少女たちの声が薄くなる。 その下から、ざらついた息のようなものが現れた。「逆向きだから分かりにくい」 朔の指が画面を滑る。「戻す」 再生方向を反転させる。 さっきまで喉へ吸い込まれていた声が、今度は自然な歌になった。 古い校歌。 少女たちの合唱。 八年前に澪が廊下で聞いたものと同じだった。 胸の奥がざわつく。 窓の外では雨が降り続いている。楽譜の散らばる床を湿気が這い、腐りかけた木材の匂いへ、古いピアノの塗料と錆の臭いが混ざっていた。 歌声の下に、別の声があった。 小さい。 ひどく近い。『鏡を見て』 澪の肩が強張る。 朔が音量を上げる。『本当の人数は、鏡に映る』 音声が途切れた。 五人は同時に、音楽室の奥を見た。 壁際に、大きな姿見が立っていた。 澪は先ほどまで意識していなかった。 高さは一メートル半ほど。木製の枠は黒ずみ、上部の装飾が半分欠けている。鏡面には斜めへ大きな亀裂が走り、蜘蛛の巣状の細い割れが右下へ広がっていた。「こんなの、あった?」 奈々香が囁く。「最初からあった」 悠斗が答える。「入ったとき、壁際に見えた」「私は見てない」「見てないだけだろ」 奈々

บทอื่นๆ
สำรวจและอ่านนวนิยายดีๆ ได้ฟรี
เข้าถึงนวนิยายดีๆ จำนวนมากได้ฟรีบนแอป GoodNovel ดาวน์โหลดหนังสือที่คุณชอบและอ่านได้ทุกที่ทุกเวลา
อ่านหนังสือฟรีบนแอป
สแกนรหัสเพื่ออ่านบนแอป
DMCA.com Protection Status